バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。ぱらぱらというまばらな拍手がまわりから起こりました。僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。(本文より)
【紹介】
『ノルウェイの森』『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』などの著書で有名な、世界的作家である村上春樹さんの自伝的エッセイです。
この本は雑誌「MONKEY」の連載に大幅な書き下ろしが加えられた内容となっています。
【感想】
興味のない人間の自分語りほどつまらないものはありませんが、興味のある人間の情報というのは些細なものでも聞き入ってしまうものです。この本は私にとって後者でした。あれほどまでに人を惹きつける不思議で魅力的な文章を書く人間が、一体何を考えどんな人生を歩んできたのかということに、非常に興味がありました。
当時、新宿の歌舞伎町で長いあいだ終夜営業のアルバイトをしていて、そこでいろんな人と巡り合いました。今はどうか知りませんが、当時の深夜の歌舞伎町近辺には興味深い、正体のわからない人々がずいぶんうろうろしていたものです。(本文より)
村上さんの小説の不思議な雰囲気は、この時の経験が大きく影響しているのでしょうか。ただでさえ多様な人がいる東京でも、歌舞伎町は特にカオスなエリアだと思います。新宿に行ったことはありますが、歌舞伎町は怖いイメージがあったので近づけませんでした。『闇金ウシジマくん』とか『新宿スワン』とか『龍が如く』とかそんな世界の住人たちと絶えず接していたらと思うと、小説のあの雰囲気にも納得です。事実は小説より奇なり。きっと私の想像を絶するような出来事の連続だったのではないかと推察します。
バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。ぱらぱらというまばらな拍手がまわりから起こりました。僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。(本文より)
冒頭でも引用した文です。普通の人はヒットの音を聞いただけでは小説が書けるとは思いません。そして実際に書いてみようとは思わないはずです。引用したこの文はとても印象的でした。天啓のようなものを感じたのでしょうか。なんにせよ、このヒットがなければ村上春樹さんの小説は存在しなかったのかと思うと感慨深いものがあります。
それでは、何がどうしても必要で、何がそれほど必要でないか、あるいはまったく不要であるかを、どのようにして見極めていけばいいのか?
これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。(本文より)
村上さんに限らず、長く続き結果を出しているクリエイターは、自分の気持ちを大切にしているように感じます。結局、自分の好きなことでないと長くは続かないし、結果も出ないのでしょう。
限られたマテリアルで物語を作らなくてはならなかったとしても、それでもまだそこには無限の − あるいは無限に近い − 可能性が存在しているということです。「鍵盤が88しかないんだから、ピアノではもう新しいことなんてできないよ」ということにはなりません。(本文より)
この文は、クリエイターに重要な示唆を与えてくれています。何かを作るうえで、「素材」自体は大半がすでに使い古されています。人類の歴史が始まってから、人は常に何かを作り続けてきました。使い古された限られた手持ちのカードがない中でも、一流のクリエイターは常に新しいものを生み出し続けています。
でも僕としては、勉強を怠けて遊びほうけているという意識は特にありませんでした。本をたくさん読んだり、音楽を熱心に聴いたりすることは − あるいは女の子とつきあうことだって含めていいかもしれませんが − 僕にとっては大事な意味を持つ個人的な勉強なんだと、心の底でわかっていたからだと思います。(本文より)
学校では本当に大切なことは教えてくれません。エジソンなんかも学校になじめなかったといいます。学校以外での社会教養こそが重要なのでしょう。学校の勉強はテストの点数稼ぎ以外に役立った記憶がありません。
他にもきになる箇所はたくさんあるのですが、きりがないので紹介はこれで終わります。同時代の作家として歴史に名前が残りそうなのは村上春樹さんくらいではないかと常々思っています。まだまだ読んでいない著書がたくさんあるので、ちまちま読んでいきたいと思います。
ところで、表紙の写真が三島由紀夫っぽいというかホ○っぽいと感じてしまいました。村上春樹さんは既婚者なのでそっちの気はないと思いますが、健康的な男性の白黒のポートレイトを見ると不安な気持ちがかき立てられます。もちろん私にそっちの気はないので安心してください。
(おわり)