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猫兎ライフ

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翻訳家としての春樹【読書感想文】『村上春樹 翻訳ほとんど全仕事』村上春樹

   

 

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【紹介】

作家の村上春樹さんがこれまでに手掛けた翻訳について書いている本です。翻訳した本の紹介や、彼の翻訳に対する姿勢などが語られています。

【感想】

翻訳にも種類があって、ビジネス文書や論文・専門書などがありますが、一番難しいのは小説等の文学的な文章だとされています。

固い文章の方が難しい印象がありますが、そういう文章というのは元々からして他人に情報を伝える目的で書かれているので、翻訳に際しても疑義が生じにくくなっているのです。テクニカルターム(専門用語)さえクリアできれば、意味の通じる日本語に訳すのは簡単です。一方、小説や詩というのはイディオム(慣用表現)やスラング(卑語)、メタファー(暗喩)などが多数登場しますし、原文の内容や時代・文化背景なども理解していないと、翻訳のはしはしで齟齬が生じてしまいかねません。

翻訳についてここまで語ったのは、私自身にも翻訳・通訳の経験があるからです。仕事上の翻訳ならば辞書を片手に取り組めば、なんとか意味の通る文章に訳することはできます。しかし、普通の小説を翻訳しようとしても上手くはいきません。

村上春樹さんは非常に多数の本を翻訳されています。しかも本業の小説を書く合間にです。小説を書くのと翻訳をするのとでは脳の違う部分を使う感覚であるらしく、無理のないサイクルで仕事を進めています。村上さんにとっては小説も翻訳もどちらも締め切りのない仕事なのだそうですが、締め切りのない状態でここまでたくさんの作品を世に送り出すということは逆にすごいことだと思います。小説と翻訳は村上さんの天職なのだと改めて感じました。

これまでに翻訳した本についての思い入れが語られており、村上さんのファンとしても翻訳経験者としても非常に面白く参考になる本でした。

パン屋は、一ダース購入した客に対して、一個おまけをして十三個で販売することから、英語では十三個のことを俗に「ベーカーズ・ダズン」という。(本文より)

こういう英語の豆知識みたいな話は大好きです。ベーカーズ・ダズンだなんて、いままで聞いた事がありませんでした。こういう俗っぽい表現も小説の翻訳の難易度を上げる要因の一つです。

古びないオリジナルはいっぱいあるけれど、多かれ少なかれ古びない翻訳はない。(本文より)

これは常々感じている事でした。古典や近代文学を読んでいても、味があるとは思いこそすれ古臭いとは感じることはありません。しかし古い翻訳の本を読むと違和感を感じる事がほとんどです。夏目漱石や太宰治の本ならば特に気にせず買って読む事ができますが、海外からの翻訳本は翻訳からの経過年数と文体を確認してからでないと怖くて買う事ができません。だからこそ、同時代作家の翻訳をしている村上さんのような存在は貴重で重要だと思います。カーヴァーとかチャンドラーとかは、村上さんがディグってくれていなければ日本ではもっと少ない人にしか読まれていなかったと思います(私は村上訳はフィッツジェラルドのグレート・ギャツビーしか読んだことはないので偉そうなことは言えないのですが)。

 

村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事

 

 

(おわり)