猫兎ライフ

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【読書感想文】自動車の社会的費用/宇沢弘文

人々自動車を使用するときには、単に自動車購入のための支払いやガソリン代などという私的な資源の利用に対する対価だけではすまされない問題が起きてくる。

本書は、市民の基本的権利獲得を目指す立場から自動車の社会的費用を具体的に算出し、その前中の方途をさぐりあるべき都市交通の姿を示唆する。

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経済学者の宇沢弘文さんの本。自動車が社会に与えるコストが十分に内部化されておらず(購入費・維持費・税金に含まれていない)、歩行者としての権利が侵害されていること及び自動車所有の可否により格差が広がることを問題視しています。

 

目次

まえがき

序章

Ⅰ 自動車の普及

Ⅱ 日本における自動車

Ⅲ 自動車の社会的費用

Ⅳ おわりに

あとがき

 

以下、気になったフレーズとその感想を記述していきます。

 

自動車通行に関して、このコスト・ベネフィット分析的な基準を適用しようとするのは、市民社会の重要な前提条件を否定するものである。

資本主義というか、市場主義の限界みたいなものは、最近のマイケル・サンデル教授の本でも議論されていました。

 この本のすごいところは、1974年にすでに問題提起をしていたことです。高度経済成長期直後の、誰もが浮かれていた時期だったと思います。

 

都会と地方とを問わず、自動車を所有し、運転するということを前提としなければ快適な生活はもとより最低限の生活すらできないという状況が形成されてきた。

自動車がないと本当に不便な街があるから、困りものです。バスも電車も不十分な土地で、自動車を買うことができない人は、どうやって生活しているのでしょうか?

 

山岳地帯の多い日本は、さらに可住面積1平方キロメートル当たりについて、約8.7キロメートルの道路延長をもち、アメリカの約8倍、カナダの約60倍という数字になっている。

日本が狭く感じる理由は、ここにあるのかもしれません。

 

鉄道、バスなどの公共交通機関のサーヴィスの低下あるいは廃止によって、最も大きな被害をうけるのは、低所得者層であり、また老人、子ども、身体障害者だからである。

「自動車の普及→公共交通機関の利用低下→公共交通機関の廃止」という流れは、市場主義的には合理的出あると思いますが、そのしわ寄せは、車を保有できない層に来るので、格差が広がってしまうという考えでしょう。

 

一家の働き手を失ったときに受ける経済的・精神的苦痛は、とてもホフマン方式によってはかりうるものではない。

ホフマン方式(交通事故の人的損失を将来の期待される所得で計算する)の限界について書かれています。お金では、どうにもならないものは確かにこの世には存在します。人の命は、お金で買うことはできませんからね。

 

【まとめ】

とても興味深い内容の本なので、ぜひ実際に読むことをお勧めします。最後に、本文からの引用を掲載して、終わりとします。

自動車の社会的費用を考えるときに、たんに自動車通行という点だけを取り出して考えることはできない。社会的費用の概念の背後には、必らず、わたくしたちがどのような生活を欲していると考えるのか、またどのような資源配分、所得分配の制度が望ましいと考えているのか、という点にかんする一つの社会的価値判断が前提とされている。

 

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)