最近、ゲームを2本売った。「ゼルダの伝説 夢をみる島」と「DEATH STRANDING」。デスストはクリアして満足したので売った。ゼルダはクリア前に売ってしまった。
私がゲームをやめるのは、先が見えてしまった時だ。売れるのならば売ってしまう。そしてそのお金で次のゲームを買う。(または、おいしいものを食べる。今回はサイゼリヤに行った。)
デススト
デスストランディングは面白かった。「幽霊やテロリストに襲われるウーバーイーツ」と誰かが言っていた気がする。このゲームの目的は魔王を倒すこと、ではない。荷物を届けることだ。滅びかけたアメリカを再建するため、単独で大陸を横断しながら物資を届けたりする。今までにない新しいコンセプトのゲームだ。梯子とか、シェルターとか、橋とか道路とか、インフラが他プレイヤーと共有されるのも面白い。バラバラにプレイしているようで同じワールドを共有しているという世界観は、ソウルシリーズに似ているなと感じた。
ゲームバランスは、ストーリー進行重視だった。サイドミッションは必須ではなかった。インフラもあれば便利という程度で、バイクがあれば大抵の場所は突破できる。ただ雪山ジップラインは必須。あそこは何度も行ったり来たりするので。ボス戦では武器や回復アイテムが必要十分以上に補給される。重要な配送品の損傷率が99%を超えてもゲームオーバーになることは無かった。
マッツとノーマンは最高だった。多くは語るまい。
エンドコンテンツとしてサイドミッションをプレイしたりインフラ整備をしたりできるようになるが、クリアしたら満足した。
ゼルダ
夢を見る島は正直微妙だった。ポップなグラフィックと、懐かしさを感じさせるゲームシステムは魅力的だった。しかしプレイしていると難点ばかりが目に付くようになってきた。まず動線が悪い。マップ自体は広くないが、あっちにいったりこっちにいったりを繰り返すことになる。あと行き先が分かりにくい。昔ながらの、”村人”に聞き込みをする感じだ。目的地が分からなくて攻略サイトを見てしまうレベル。これは古いゲームの手法だな。データ容量が少なかった時代、限られたマップ・ボリュームのゲームを長く遊んでもらうための手法だ。あえて動線を悪くして、情報は絞っているのだ。これを今の時代にやる必要はない。
あとダンジョンが単調。パネルダンジョン?仕掛がある部屋が組み合わさってダンジョンが形成されている。この部屋がまた単調で、動線も悪い。ひとことで言うと、面白みがない。
まだ攻略途上だったが、この後も同じようなダンジョンの繰り返しかと思うと萎えたのでやめてしまった。
先が見えたゲームには興味を失ってしまうが、逆に終わりの見えないゲームはいくらでもプレイできる。ダークソウル3は侵入にはまって2000時間以上プレイしていた。レインボーシックスシージも発売してから今までずっとプレイし続けている。PvEの攻略系のゲームはクリアしてしまえばそれで終わり。敵を強くしたり、数を増やしたり、道順を複雑にしたり。ちょっと数値をいじれば難易度は簡単に変えられる。クリアまでいかなくても、安易な延命処置というか薄めた感じが見透けてしまうと萎えてしまう。
その点、PvPに終わりはない。敵は生きた人間だ。行動パターンは毎回異なる。状況が違えば、取ってくる戦術も違う。同じキャラ、ステージでも試合内容は全然違ったものになることもある。奥が深い。
まあ好みの問題もあるだろうけど。興味を失ったゲームを途中でやめれるようになったのは成長かなと思っている。子供のころはつまらなくても頑張ってプレイしていた。大人になって分かったのは時間の大切さ。時間は何より大切。お金を払ってでも手に入れるべきもの。時間をつぎ込むべきゲームとそうでないゲームの区別がつくようになったのは嬉しい。投資でいうところの、損切りのようなものだ。
というわけで今はまた、シージをメインにプレイしている。ポケモンは手持ちが定まったので、殿堂入り後のシナリオを進めていく予定。ポケモンもクリアしたら満足しそう。CoDも先が見えた感があるので足が遠のいている。こういうとき売れないからPCゲームは不便だね。
(おわり)