名前はなんとなく聞いたことがあるけれど、何をした人なのかよく分からない、ウィトゲンシュタイン。たまたま最近「ウィトゲンシュタインの愛人」という小説を読んでいたので、この名前が気になっていた。
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そんなわけで、本屋で「はじめてのウィトゲンシュタイン」を見かけて、手に取って読んだのもなにかの巡り合わせだったのだろう。
ウィトゲンシュタインのことはなんにも知らんが、この本がとても丁寧に初心者にも分かりやすく書かれていることは、少しページをめくれば理解できた。ちょうど哲学したい気分だったので、買って読んだ。
ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」は、ハイデッガーの「存在と時間」と共に必読の哲学書とされているらしい。
ウィトゲンシュタインの思考は、「論理哲学論考」を書いた前期と、後期とでは、異なっているそうだ。これを知らずに「論考」を読んでいたら混乱したかもしれない。こうして広い視点で概観できる本はとてもありがたい。哲学的な内容に関しては、数学とか論理学とか難しい話は上手いこと端折って書いてくれているので、専門的な知識がなくても読むことができる。まさに「はじめての~」という名に相応しい本だ。それでも1行1行理解しながら読み進めるのには時間がかかった。
「論理哲学論考」とはつまり…、なんてことをここで書くつもりはない。「~のようなもの」なんて型にとらえて分かったつもりになることを、ウィトゲンシュタインは戒めている。
最近流行ってる”超訳”みたいな本を読む気になれないのは、これが原因だったのか?俺より数百倍は頭が良かったであろう偉人が書いた本を、ちょろっとまとめた内容を読んだ程度で、理解できるはずがないんだ。分かるはずがない。分かった気にはなるだろうけれど。難しいものは難しいものとして、頑張って取り組むべきだろう。簡単に理解したような気持になるのが嫌で、そういう系の本は最近読んでいない。
そうそう。ウィトゲンシュタインに似てるなと思ったのが、エヴァンゲリオンで有名な庵野秀明監督ね。最近仕事の流儀に出ていたのを思い出した。二人とも全身全霊をかけて取り組み、ぶつかっている。スマートさのかけらもなく、とてもプロフェッショナルとは言えない。
もがき、搔き分けながら進んでいくのも人生なのか、とか思ったり。
(おわり)