猫兎ライフ

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僕ヤバに心を深くエグられる人生だった。【読書感想文】『僕の心のヤバイやつ』

 

↑これは俺が特に好きな2巻ね。 

 

僕ヤバを読んでいると、心を深くエグられるような、突き刺されるような感覚に陥ることはないだろうか?俺にはある。

胸キュンとは違うし(もちろん胸キュンはある)。尊さにやられるのとも違う(当然、尊死する場合もある)。

ちょっと前に書いた記事では僕ヤバの魅力について書いた。これは、話の展開だとかマンガの表現だとか、割と表面的な内容だったと思う。

 

 

今回は、僕ヤバがなぜこんなに心をエグるのかな?と考えたお話。

 

【陰キャがリアル】

このマンガ、陰キャの描写がリアルだよね。思考回路とか、リアクションとか。俺自身陰キャだったから、この辺はすげー共感できる。声かけたくてもかけられない感じとか、休み時間に話す友達もいないから本を読んだりするのとかも。

なんかインタビューとか読んだ感じだと、桜井のりお先生も陰キャだったらしい。同志よ。

【見せ方が上手い】

あと見せ方ね。僕ヤバは市川視点の物語なので、市川が体験していないことは、我々読者も知りえない。マンガのタイトルとか、各話のタイトルにもあるように、あくまで主体は「僕(市川)」だ。学校で別れたあと、帰り道とか帰宅後に山田が何をしているのか、知らない。まあマンガなので市川視点+αくらいは分かっているのだが。

市川はモノローグがあるので心の中も分かる。だが山田の心の中は一度も直接的に描写されたことはない。

だから山田の気持ちは、言動とか行動とかで推測するしかない。最悪の場合、市川のことはからかっているだけで、すでにナンパイとか足立とか全く知らない第3者とくっついている可能性すらあるわけだ。だって市川と会っていない間は何してるかわからないから。まあ絶対あり得ないけどなそんなこと。だって脈しかないんだもん。もうイケるぞ京太郎ッ!てかこのマンガ、ハッピーエンドにならなかったらリアルで死者が出ると思うぞ俺は。うん。

とはいえそれだとラブコメとして成立しないので、キャラは表情豊かで感情が読み易くなっている。意図して表情を読み易いようにしているらしい。相手のことが分からないハラハラ感と、ラブコメの甘さが両立していてとても良い。

話は変わるけど、このマンガはアニメ化は良いとしても実写化は厳しいのではないだろうか。マンガとかアニメは分かりやすいアイコン的な表情をさせられるけど、実写ではそれができない。多くを語らないことで生み出される微妙な心の機微というか、読み手に与える解釈の広さとか、そういうものを果たして実写で再現できるのだろうか。

あと心理描写系で特に好きなのはKarte.43「僕は山田が嫌い」だ。

わからないのは山田の心じゃない 僕の心

モノローグがあるから市川が思っていることは分かる。でも、思っていることが本心じゃないこともある。モノローグを使った叙述トリックとでも言うべきか。思ったことと本心の乖離を表現したこの話すごいよね~。

 

【開く過去の扉、抉られる心】

こんなに共感できる主人公を、こんなに上手い見せ方をされると、なんというか、過去の扉が開いてしまう。不意に昔を思い出すことを過去の扉が開くって言うよね?

僕ヤバを読むようになってから、学生時代の黒歴史とか、やらかしとか、いらんことを思い出すようになった。そういやあんなことあったな、みたいな。例えば…って、匿名でも語りたくないよな黒歴史は。

そして極めつけが、あの時こうしていれば、みたいなことも思い出しちゃうんだよね。俺も陰キャだったから、中学・高校と大学のほとんどは色恋沙汰とは無縁な生活を送っていた。でも今思い返せば、全くチャンスが無いわけでもなかった。やたら絡んでくる女子とか……いたわ~。連絡先聞かれたりとか……あったわ~。バレンタインにチョコとか……もらってたわ~。まあ陰キャだった俺はそんなフラグを回収できるわけもなく。安定のフラグベキベキマンだった。当時の選択が違えば、僕ヤバ程ではないにしろ、何かあったのかなとか思ってしまう。

僕ヤバに引き込まれてしまうのは、「実現することの無かった、あり得た世界」を市川が歩いているからだと思う。あの時掛けられなかったひと言とか、踏み出せなかった一歩とか、そういうものを市川はちゃんと回収している。Kare.1の話になるけど、困っている女子がいたとして、カッターを貸してあげられるか?中学時代の俺には無理だっただろうなぁ。あそこで一歩を踏み出した市川は本当にエライ。「こうありたかった」という全陰キャの願望を具現化した存在が市川だ。そのうち英霊として召喚されるんじゃないかしらん。固有結界とか使いそう。

仮に。仮にだよ。今の記憶を引き継いだまま中学時代に戻れるとしても、コレジャナイ感が半端ないんだよなぁ。確かに今の俺ならもっと上手く立ち回れるだろうし、彼女の2、3人くらい余裕で作れると思う。でも、あの時感じたドキドキ感とか、もどかしさとか、そういう感情が既に失われていることも知っている。ラブコメをするには、汚い大人になり過ぎてしまった。

もう決して通ることのできない道だと分かっているから、心が抉られるし、市川を応援したい気持ちになる。

【汚い大人にこそ響く】

市川と山田の関係って、汚い大人にこそクリティカルヒットだと思う。弱い部分をさらけ出して語り合ったり、直接「好き」とは言わないけどお互い気にかけていたり、柔道の授業とかでじゃれあったりね(笑)。

告ったり、付き合ったり、キスしたり、ヤッたりするよりも、こういう関係は貴重だよ。1発ヤるだけなら簡単だけど(ゲス)、信頼関係は一朝一夕で築けるものではない。

もはや愛だね。さっさとくっついちゃえばいいのに。…いやダメだ。もっとじっくり、ゆっくり進展してくれ。

あと最近King Gnuの「白日」がやけに刺さるようになったので、歌詞の一部を引用しておくぜ。

いつだって人は鈍感だもの

わかりゃしないんだ肚の中

それでも愛し愛され

生きていくのが定めと知って

後悔ばかりの人生だ

取り返しのつかない過ちの

一つや二つぐらい

誰にでもあるよな

そんなもんだろう

うんざりするよ(King Gnu「白日」より)

 

いや別に、誰かを知らず知らずのうちに傷つけたわけじゃないんだけどね。僕ヤバを読んで色々思い出して心を抉られて悶絶している俺のことじゃん。とか思ったり。

アニメ化したらKing GnuがOPとかED歌ってくれたら嬉しいな。結構雰囲気マッチしてると思うんだよな~。

(おわり)